お金が無いことの恐怖
お金が欲しいというのは、誰でもが思いますが
お金が要らないという人は、少ないと思います。
社会生活を営む上で、すべては、お金によって決済されると言っても過言ではない状況です。
極端な話し、食べるものを買うお金がなければ、飢えてしまいます。
お金が要らないということの真意は、必要以上のお金は要らないということかもしれません。
確かに、日常生活に必要なお金があれば、それ以上を求める必要がないというのは、分かるような気もします。
お金を稼ぐのに労働などの対価が必要になりますので、無理をしてまで余剰を増やす必要は無いということです。
借金やローンのプレッシャー
一方、お金の必要性が切実なのは、借金やローンの支払いが滞っている時が一番だろうと思います。
贅沢を言わなければいいなどと、のんびりしていることはできません。
かなりのプレッシャーがかかってきます。
また、そこまで行かなくても、ちょっとしたお金が必要になる場面が出てくることもあります。
家族や自分が病気をしたとか、家族の急な支出にヘルプしてあげなければならないとか。
このようなプレッシャーも、ある程度の蓄えがあれば、当面あわてないですみます。
少なくとも、対策を講じるのに、時間的余裕を持てるというのは、大きいと思います。
蓄えのお金が、衝撃のバッファーになってくれます。
結局、お金が欲しいということの1つには、その蓄えが欲しいというのがあるかもしれません。
先が読めるものを考える
余裕をもった資産を作ることが、心の平和につながってきます。
その際の収入源としては、先が読めるものを考えるのが懸命でしょう。
すなわち、投資などの先行き不透明なものだけに頼るのは危険すぎます。
どんなに鉄板と思われる状況でも、一変してしまうことは、日常茶飯事です。
しかも、それを予見することはできないことが大半です。
個人的には、先が読める収益源としては、アドセンスがいいのではないかと考えています。
もちろん自分が望む額を稼ぐというのは、並大抵のことではないことは分かっていますが。
それでも自宅に居てできますし、肉体的疲労もどちらかと言えば軽度です。
精神的なストレスとか、その程度の負荷は、そもそもお金を稼ぐということに於いては、当たり前に必要なことと思います。
やるべきことは、ブログやホームページにどんどん記事を書いて、アクセスを得ること。
ただ、それだけなのですから。
作業に疲れたり、やる気がなくなってきたら、借金取りに督促かけられているとか、仕事に疲れて帰宅後に、もう一つの仕事に出かけるなど、今よりハードな状況を思い浮かべるのがいいと思います。
想像がリアルであればあるほど、やらなければならないという気持ちに切実さが加わります。
小さな積み重ねが大きな意味を持つ
何事もそうですが、特にお金関係に関しては、日々の小さな積み重ねが後々大きな意味を持ってきます。
毎日の出費が微々たるものであっても、それが積もれば大きな支出になってしまいます。
一ヶ月1万円ためていくのを20年続けることができれば、240万円になります。
同じ大きな意味を持つということでしたら、自分の味方につけるということを考えた方が良いと思われます。
また、身の回りを見渡して、これは要らないというものは沢山あると思います。
例えば、古い雑誌だったり、本だったりCDだったり。
その他、日用品のこまごまとしたものなど。
そして、それらを売ってお金になるなら売ってしまいたいと思うこともあると思います。
けれどもそもそも自分が要らないものは、人も要らないことが多いものです。
また、売れてもかなり少額のお金にしかなりません。
でも、それらの物は、買った時があったわけです。
その時点では、それを買うお金があったということになります。
それを買わずにそのお金を残していたらと考えると、今ある不要なものを元値で買い取ってもらうのと同じ意味があるということになります。
一見子供だまし的ですが、これは、実は大切な考え方かもしれません。
すなわちものを買う時に、そのような考えがあるだけで無駄なものを買わないで済む可能性が出てくるということであり。
それが積もり積もってくると、かなりのキャッシュになることが想定されるということです。
収入を増やし、支出を減らす。
当たり前の対策ですが、それをできるのは、自分しかいないと思います。
お金が無いことの恐怖から実を守るためにお金を貯める。あるいは、稼ぐ。やはり、大切なことだろうと思います。
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